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原田真二 『OUR SONG』インタビュー

アルバム
原田真二 アルバム『OUR SONG』

『OUR SONG』
TECG-30051
3,000円(tax in.)
CONTINENTAL STAR

原田真二 アルバム『OUR SONG』<初回限定盤>を購入する
01.OUR SONG(オーケストラ)
02.てぃーんず ぶるーす(オーケストラ)
03.キャンディ(オーケストラ)
04.MY LOVE(オーケストラ)
05.EVERY NIGHT(オーケストラ)
06.僕らのハーモニー(オーケストラ)
07.Make It A Paradise(英語バージョン)
08.心の美酒を酌み交わそう 
09.Our Wish for Recovery〜夢の光〜
10.シャドー・ボクサー(ライブバージョン)

 自分は原田真二が『てぃーんず ぶるーす』でデビューした年に生まれた為、氏にまつわる多くのトピックをリアルタイムで体験していない。故に今も語り継がれる多くの伝説の真相を知りたく、若い世代にもその存在と音楽を知ってもらいたくインタビューを敢行。歌謡曲全盛の音楽シーンにてロックアーティストとしてテレビの世界を中心に活躍し、異端ながら様々な記録を残してきた原田真二の「ザ・ベストテン」や武道館にまつわる秘話から、精力的な社会活動の話まで。35周年目前に表現者としてマックスへ到達するまでのストーリーを語ってもらった。

−−まず1970年代後半、デビュー当時の原田さんはどんな想いや意志を持って音楽活動されていたんでしょうか?

原田真二:僕は広島出身なんですが、小さい頃から「平和祈念式典」などで歌う広島少年合唱隊に所属していたり、音楽にはすごく大好きで関わっていたんです。中学ぐらいになるとアメリカやイギリスのヒット曲がFMでガンガン流れる時代になるんですが、それから本当に洋楽ばっかり聴くようになって。その頃、日本はフォークブームだったんですけど、僕はギターを始めてすぐにユニットやバンドを組んだりしていたんです。

−−その時点で一線を画していたんですね。

原田真二:それで自分のオリジナルを作り始めたときから、音楽で何を発信していきたいか明確にあったんですよ。楽しくなる、幸せな気持ちになる、悩みが吹っ飛んでしまうとか、そういう力を持つ音楽からメッセージを発信していくことによって、本当に世の中を動かしていけるんじゃないか。優しい気持ちを社会に復活させることができるんじゃないか。そう本気で思っていて。広島が大きく影響していると思うんですが、平和に関してのメッセージだったり、人が優しくなれるような曲だったり、自然とそういうものを作るようになっていったんです。

−−なるほど。

原田真二:それから高校2年生の頃、フォーライフレコードの最初のオーディションでデビューすることになったんですけど、あまりにもメッセージ色が強くてですね……。その頃はフォークがメッセージソングだった時代の後だったんですよ。だから僕が歌っているようなメッセージが持てはやされる時期でもなかったし、評価としては「ストレート過ぎる」と敬遠されてしまったんですね。それで作詞家の松本隆さんに僕の詞をリライトして頂く作業が始まって、デビューのアルバムとシングルで成功するんですけど、6枚目のシングル『OUR SONG』から自分が作詞したものを発表できるようになって。その曲は自分がメッセージしたいことをストレートに出したもので、あの時代には珍しいバラードシングルだったんです。自分でオーケストラをアレンジしたのもそれが初めてだったりして、いろんな意味で自分の中では大きな位置にある曲になりました。

−−自分本来の表現が成立しなかった頃の音楽業界、音楽シーンは原田さんの目にどんな風に映っていたんでしょう?

原田真二:デビューしてからあらゆるところでのギャップが大きくて。自分はNHKの特番や「ヤング・ミュージック・ショー」で洋楽ばかり聴いて育ってきたんですよ。それを観ることが最高に楽しい時間で、テレビからカセットテープに録音したりとかしていて(笑)。だからデビュー=「ヤング・ミュージック・ショー」で観ていた世界だと思っていたんですね。でもいざデビューしてみると、芸能界にどっぷり入ったところからのスタートになる訳ですよ。いきなりテレビカメラがバァ〜〜〜っとスタンバイされたり、雑誌の取材がほとんどアイドル誌ばっかりだったりして。

−−そのギャップは凄いでしょうね。

原田真二:あと、その頃から音楽番組が一気にスタートしたんですけど、いわゆる歌謡曲主流の世界でしたから、後ろにビッグバンドがいて、歌手が出てきて歌う訳ですよね。でも自分は自分のバックバンドと一緒にやっていたので、そこで演奏する難しさがあって。あの頃はNHKの番組でさえ、バンドへの返しのモニターが両サイドにしかないんです。通常は転がしモニターがあるじゃないですか。例えばそれに対して意見をするだけでも、新人がそんなことを言うのは時代的にタブーなんですよ。「なんだ?この生意気な奴は」ってなってしまう。まぁ実際、生意気だったんですけどね(笑)。でもこちらからするとあり得ないことの連続で、ぶつかりながら改善してみたいなことをずっとやってました。

−−結果として、テレビと戦う形になっていたんですね。

原田真二:多分、我々みたいなのが最初にテレビに出てきた頃だったんですよ。自作自演の方は、フォークにしてもニューミュージックにしてもあんまりテレビに出ていなかったですからね。だからいろんなぶつかり合い、説明して理解してもらう作業は結構多かったです。

−−当時は狩人『あずさ2号』や清水健太郎『失恋レストラン』、高田みづえ『硝子坂』などの歌謡曲が大ヒットしていた訳ですが、そことは一線を画す音楽をやってやろう的な想いは強くあったんでしょうか?

原田真二:一線を画すというか、自分がそこで一緒になっているつもりは全くなかったので。周りからの評価も「洋楽的なものが出てきた」みたいなことを言われていましたし。まぁでもいろんなジャンルが一緒になった歌番組も多かったですからね。やっぱり自分の言葉やメロディを出しているっていうこともあって、他の歌手やタレントの歌とは線を引きたいとは思っていました。新人として出てきて、唯一それがアピールできるポイントでもあったし。ただ、それを口にして怒られることはよくありました(笑)。

−−尖って見えたでしょうね。

原田真二:そうだと思いますよ。大体、新人なんて「よろしくお願いします!」って言うだけなんですよ。だけど「はじめまして。アーティストの原田真二です」って言っちゃったりしたんですよ!一緒に見られたくはなかったですね。「じゃあ、テレビ出てくんなよ!」っていう話なんですけど。

Interviewer:平賀哲雄
Page Design:佐藤恵