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原田真二 『OUR SONG』インタビュー

原田真二 アルバム『OUR SONG』インタビュー
アルバム
原田真二 アルバム『OUR SONG』

『OUR SONG』
TECG-30051
3,000円(tax in.)
CONTINENTAL STAR

原田真二 アルバム『OUR SONG』<初回限定盤>を購入する
01.OUR SONG(オーケストラ)
02.てぃーんず ぶるーす(オーケストラ)
03.キャンディ(オーケストラ)
04.MY LOVE(オーケストラ)
05.EVERY NIGHT(オーケストラ)
06.僕らのハーモニー(オーケストラ)
07.Make It A Paradise(英語バージョン)
08.心の美酒を酌み交わそう 
09.Our Wish for Recovery〜夢の光〜
10.シャドー・ボクサー(ライブバージョン)

−−原田さんは吉田拓郎プロデュースでデビューされたと思うんですが、拓郎さんにその辺の悩みを聞いてもらうことはあったんですか?

原田真二:拓郎さんはフォーライフの社長もやっていて、僕をオーディションの中でピックアップして頂いたり、いろいろ遊びにも連れて行って頂いたり、とにかくデビューまでの下地を全部作って頂いたので、すごく感謝しているんですね。あと、今は超大手になりましたけど、アミューズの大里洋吉(現アミューズ会長)さんの存在も大きくて。元々はバーニングプロダクションが僕の権利を持っていましたが「新しい音楽のスタイルに合う環境で」との意向でアミューズが出来たんですよ。それで大里さんも僕が自由にできる環境を作ろうとしてくれたことは事実で、本当にそれは感謝なんですよ。デビュー曲を『てぃーんず ぶるーす』じゃなく拓郎さんに提供してもらおうっていう動きがあったときも、大里さんが「いや、これだけの曲を書ける人間なんだから、本人の曲でいかなきゃダメですよ」って言ってくれたんですね。

−−デビュー曲『てぃーんず ぶるーす』から『キャンディ』『シャドー・ボクサー』と、当時のシーンでは異例だった3ヶ月連続リリースを敢行。そのすべてがヒット、3曲が同時に数々のチャートでベスト10入りするという初の快挙も達成します。この頃はどんな心境だったんですか?

原田真二:デビュー曲が出る少し前から本当にスケジュールがタイトになってきて、テレビから雑誌からラジオからもう1日に7,8本の仕事があるのは当たり前なんですね。TBSの「ザ・ベストテン」も始まったところだったので、毎週赤坂には行ってるし、その他の生番組にも必ず出ていますし、考える暇がなかったんですよ。何枚売れてるとか、ヒットしてるとか、そんなことを言われてもイメージは全く湧かない。とにかく凄いことになっているのは分かるんですけど、プライベートが全く無くなっているんで、そのことの危機感の方があった。曲を作ったりする時間が取れないので。それでもアルバムのレコーディングはやっている訳なんですけど。まぁそんな中でもバンドの連中と寝ないで湘南まで行って、どんちゃん騒ぎしたりとか。

−−そこはやるんですね(笑)。

原田真二:全然寝ないでやってました(笑)。その翌年の1月後半〜2月にかけて集英社の合同取材があったんですよ。「月刊明星」と「週刊セブンティーン」の合同取材で、アメリカとヨーロッパをぐるっと回ってくるみたいな。で、自分の祖父母の時代から移民としてシアトルに親戚がみんないたんですね。その一部が戻ってきて僕は日本で生まれているんですけど、そうした縁のあるシアトルにも行ったりして。そのときに日本で1stアルバム『Feel Happy』がオリコン史上初の初登場第1位を獲得したんですよ。結果、4週連続1位だったんですけど、そのときにやっと実感しました。達成感があったというか、凄いことなんだという実感があった。でもその前年のデビューした年は訳わかんなかったですね。

−−ちなみに最新アルバム『OUR SONG』にはこの3曲の最新バージョンを収録されていますが、今は自身の中でどんな印象や立ち位置の楽曲になっているんですか?

原田真二:『てぃーんず ぶるーす』と『キャンディ』はライブで必ずやる曲ですね。その当時聴いてくれていた人の中では本当に印象的だったみたいで、僕のトレードマークになっているんですよ。それで“知っている曲を待っている”っていうのは常にお客さんの立場としてはある。中には「昔の曲はやらない」っていうアーティストもいるかも知れないですが、僕はやらなかったことはないでしょうね。自分を音楽に携わる者として30年以上引っ張ってくれた存在だと思います。当時は抵抗もありましたけど、それがあったからこそ今があるので。で、ここ数年はオーケストラとのライブが何度かあって、譜面をフルスコア用意していたので、今回のアルバムではオーケストラと共にそれらの楽曲もレコーディングすることにしたんです。

−−また、原田さんは10代ソロ歌手としては史上初の日本武道館公演を行っています。当時の武道館に立つというのは今とは重さが違うと思うんですが、どんな気持ちで臨んだんでしょう?

原田真二:僕は国立競技場でやりたいと思っていたんですよ! 誰もやったことがなかったので。まぁなかなか難しくて。日本武道館は当時で言えばザ・ビートルズがやって大変なことになった場所ですし、エンタテインメントの世界におけるひとつのステイタスであったことは事実だと思うんですが、その凄さがあんまり僕には分かっていなくて。1万人近い方々が集まるという意味ではすごく興奮しましたし、それを制作していくまでのドキュメンタリー映画「OUR SONG and all of you」があるんですけど「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」シリーズの龍村仁さんに撮って頂いたのは嬉しかったですね。あと、武道館もそうなんですけど、初のアリーナツアーも話題になったんですよ。今みたいにコンサート用のアリーナがそんなにない時代で、全国の体育館を廻ったんです。5000〜6000人規模の。それ用に特別なPAシステムをアメリカとイギリスから導入したんですけど、その音は強力で凄かったですよ!

−−そうした活動の中で、原田真二はChar、世良公則&ツイストと並んで“ロック御三家”と称されるようになります。そう呼ばれることに対してはどんな気分だったんですか?

原田真二:あの時代はすぐ御三家になっていたんですよ。まぁCharとは親しかったんで、それをネタにして爆笑したりしていたんですけど(笑)。客観的に「面白いな」って見てましたよ。あ、アイドル誌の取材でCharバンドと僕の対談とかやりましたね。そのときのCharバンドにいたドラムのリューベンが、25年ぐらい一緒にウチのバンドで叩いてくれているんですけど。で、当時のCharバンドにはハーフの子たちが多くて、リューベンとかは超アイドルなんですよ。物凄い可愛かったんです。バックバンドの方が人気あるんじゃないか?って思うぐらい(笑)。そこからいろんな壁を乗り越えて、いろんな経験して、リューベンは今や凄いドラマーですよ。

−−シンガーソングライターで“ロック御三家”でアイドル的な見られ方もして、当時のシーンではどう考えても異端だったと思うんです。しかも当時は有名な作曲家の方が作った曲を歌うのが主流だった訳じゃないですか。普通に考えたら「なんだ?こいつは」って思われますよね? その業界の空気みたいなものはどうだったんでしょう?

原田真二:同年代の違うタイプのタレントさんは近寄ってこなかったですね。仕事のやり方がまるで違いましたから。まぁ今なら誰とでも仲良くなれる自信はあるんですけど、その頃は人見知りの感じもあったと思いますし、いろんな人たちが集まるテレビ番組の楽屋とかには居づらかったです(笑)。

−−そこに原田さん的なアーティスト、その気持ちを共有できる人はひとりもいなかったんですか?

原田真二:同じ時期に出てきて、会えば盛り上がったりしていたのは、渡辺真知子ちゃんですね。真知子ちゃんは世界観は違えども、同じソングライターとして出てきているから、よく話したり飲んだりしてましたよ。まぁでもテレビの楽屋は難しかったですね。

Interviewer:平賀哲雄
Page Design:佐藤恵