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ソウル・フラワー・ユニオン 『キセキの渚』インタビュー

ミニ・アルバム
01.キセキの渚
02.ホモサピエンスはつらいよ
03.ダンスは機会均等〜内田直之の越境ダブ盆唄編
04.おいらの船は300とん
05.斎太郎節
06.郡上節(春駒〜八竹)
07.いちばんぼし
08.偉大なる社会
09.雑種天国
10.キセキの渚<インスト>

瓦礫に埋まったプレーヤーから生まれた、再生の歌

2011年3月11日の東日本大震災発生後、支援物資を届けるために壊滅的な被害を受けた宮城県女川町を訪れた彼は、女川港の瓦礫の中からターンテーブルを発見した。 ―――2011年の象徴する1枚、ミニ・アルバム『キセキの渚』を完成させたソウル・フラワー・ユニオン。奇跡的な出逢いから生まれた名曲や、被災地ライブでのレパートリーを収録した同作について、中川敬(vo,g,三線)に話を訊いた。


−−今年は、6月に中川さんのアコースティック・ソロ・アルバムがあり、秋にはキューン時代のソウル・フラワー・ユニオンを総括するボックス・セットをと、例年よりリリースが多い1年になりました。年末といえば1年を振り返る的な話題から入るのが定番ではあるのですが……

中川敬:んー……、簡単には振り返れない、あまりに沢山、まだ途中経過なことが多すぎて…。トンでもなく忙しい1年やったね、本当に。『街道筋の着地しないブルース』の制作から2011年が始まって、3.11を境に、世の中は大きく変わってしまった。
『ソウル・フラワー震災基金』(※1)を再度立ち上げて、「ソウル・フラワー・みちのく旅団」(※2)で被災地の避難所や仮設住宅へ歌いに行き始めて、その片方で通常のライヴ、ロック・フェスへの出演も多かったし、『SOUL FLOWER BOX 1993-1999』も編纂したし……。今年を漢字一文字で表すなら“忙”! あるいは“貧”!(笑)

−−実は、3.11以降のとある取材で、担当者から「今回の作品は震災に関係ないから、そういった質問はしないで欲しい」と言われたことがあって……

中川敬:は? “関係ない”?

−−僕も憤りを覚えたんですけど、最近、取材の準備をしていて、「今回の作品に震災は関係ないから、この質問はいらないな」と自粛したことがありました。既に風化させようとしている自分がいたんですよね。

中川敬:まあ、誰しもが凄い振り幅で生きてるとは思う、今年は。場所によって温度差も激しいし、一口に被災地と言っても岩手、宮城、福島、北関東、首都圏とそれぞれ違う。だから、場所によっては、「ちょっと、このシンドさ、精神的圧迫から抜け出したい、忘れたい」ってね。いや、だからこそ、「被災地のことを忘れないでくれよ、みんな!」って心から思うね。しかし、そういうことを言うんやね、音楽プロダクションっていうのは(苦笑)。

−−ソウル・フラワー・みちのく旅団としての被災地でのライブは、震災以降どれくらい行ってきたのでしょうか? 距離的な過酷さもあると思うのですが。

中川敬:確かソウル・フラワー・ユニオンも含めて、今年東北でライブをやった回数は、20くらいじゃないかな? とはいえ、ずっとツアー人生やからね。

−−今回リリースされるミニ・アルバム『キセキの渚』は、被災地での出会いから生まれたエピソードがモチーフとなっています。

中川敬:<キセキの渚>のエピソードやね。4月に初めて被災地に行った。その時は演奏しなかったんやけど、石巻の保育園に文具等物資を持っていって、東北各地の知り合いを巡る旅をしたんよね、大阪から自分のポンコツ車を走らせて。そこで目にした石巻や女川の光景は、本当、言葉を失う光景やった。津波の、あまりに凄惨な被害状況。3階建ての建物の屋上に車が転がってたりする。「どんな津波やったんや……」って、想像を絶する光景が広がってて…。

−−女川町は、特に被害の大きい地域ですよね。

中川敬:女川の波止場の辺りをウロウロしてた時に、「瓦礫」の下にターンテーブルが埋まってるのを見つけて、写真に撮った。で、大阪の自宅に帰ってから、旅が終わった報告と一緒に、その写真をTwitterに上げたら、なんと! 持ち主が判明してね。
その持ち主っていうのが、20年来のソウル・フラワー・ファンの高橋正樹くん。女川で蒲鉾(かまぼこ)本舗『高政』っていう老舗の大会社を経営している三代目で、大学時代には阪神淡路大震災のボランティアで神戸を訪れて、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(※3)の機材を運んだりもしてたって! そんな彼のターンテーブルやったんやね。これはほんとビックリやったね。

その2〜3週間後に各地の避難所に演奏しにいくことになったんやけど、女川の避難所で演る時は高橋くんに手伝ってもらってね。『ソウルフラワー震災基金』で『高政』のかまぼこを買って、避難所でふるまいながらライブするようなことを5月から始めた。

−−そのターンテーブルは?

中川敬:今回の大地震は各地の沿岸部で地盤沈下を引き起こしてて、海沿いが冠水して海水に沈んでしまってる。ターンテーブルも、夕方以降は冠水してる場所にあった。高橋君の仕事が終わる頃には冠水してることもあって、彼はなかなか取りに行けなかったんよね。

ただ、俺らが演奏に行った5月中旬、到着時はまだ冠水してなかったから、高橋くんと逢ってすぐ、車でその場所へ一緒に行った。ところがその場所に着いたら、冠水が始まってる。初めは高橋君、「冠水してるんで、後日取りに来ます」なんて言ってたんやけど、ちょっと間を置いて、いきなり叫びながら、海水の中に入って行ってね。
30mくらい離れた所やったかな、瓦礫をどけて「俺のですー!」ってターンテーブルを抱きしめながら号泣してたよ。その時、彼が言ったのが、「これは一生の宝物です」。『キセキの渚』の歌詞に出てくる“宝物”ってキーワードがそれやね。彼は、津波で家を流されて、祖父も亡くしてる。多くのものをなくした中、奇跡的に発見されたターンテーブルやったんよね。

Interviewer:杉岡祐樹
Page Design:佐藤恵