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本家顔負けのアイリッシュ音楽をやっている日本人がいる。それを自身のオリジナルにしようと切磋琢磨しているアーティストがいる。初めてその音楽を聴いたときの衝撃は今でも忘れない。無性にキャンプがしたくなり、田舎に帰りたくなり。けれど、それでもその音楽を聴き続けていると、次第に心は高揚を始め、生命の鼓動を知らせた。こんな音楽を表現できる日本人に僕は会いたくて仕方なくなり、今回のインタビューを敢行したわけなのだが―――。
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−−どんな音楽を聴いて育ったんですか?
Akeboshi:最初に手にしたのは、U2の『ヨシュア・トゥリー』のテープでした。そのアルバムには『ワン・トゥリー・ヒル』っていう曲が収録されているんですけど、家族で2年ぐらい住んでいたニュージーランドの街にはその“ワン・トゥリー・ヒル”があって、U2が来たりしていたんです。で、今考えると、あのアルバムはサウンド的にもアイリッシュだし、ブライアン・イーノがプロデューサーでエレクトロニカの要素もあったし、今の自分がやっている音楽のルーツだったのかなって。『ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム(約束の地)』の2分ぐらいあるイントロを巻き戻しながら何度も聴いていた記憶があります。
−−なるほど。
Akeboshi:そこからはいろんな寄り道をしましたね。雑食で、中高生の頃は本当にいろんなものをカバーして。小さい頃にクラシックピアノを習っていたのでピアノモノをやったり、ハードコア、パンクロックもやったり。バンドを3つぐらい掛け持ちしていたんですけど、オールディーズのブルースロックみたいなこともやってましたね。その頃は家の中で黙々と音楽をやるっていう感じじゃなくて。練習も嫌いだから遊んでばかりいて(笑)。
−−どの音楽がメインとかなかったんですか?
Akeboshi:ピアノとハードコアバンドとかは絶対に繋がらないと思っていたから、自分の中では同じ音楽っていう括りにはできなかったんです。でもいろんな音楽を聴いたりやったりしてみて「自分て何だろうな?」「何を大事にこれからしていけばいんだろう?」って考えるときがあって、そのときにピアノの存在が大きいことに気付いて。その後に、イギリスに行ってロジックっていうプロトゥールスみたいなソフトの存在を知るんです。高校生ぐらいまではシンセサイザーが入ってる音楽とか好きじゃなかったんですけど、ロジックに会って、自分のイメージがこんな簡単に形に出来るのを知って、それからロジックとアコースティックギターやピアノを如何に融合していくか考えるようになりました。
−−それが今のAkeboshiの音楽の基盤になったと。
Akeboshi:多分そうだと思います。
−−そもそも渡英、リバプールの音楽学校LIPAに留学したのはどんな想いからだったんですか?
Akeboshi:「いい加減、ひとりになんなきゃ」みたいな想いがあって。毎日毎日遊びすぎてて。すごく自由な高校だったので、お昼に起きて、学校行ったら行ったで、部活だけ出て、夜は夜で部室とかでみんなと鍋パーティーやったり。そんな感じですごく生活が乱れてて、このまま日本の行ける大学や専門学校に行っても絶対に遊ぶ自信があったんで、それでサウンド的にも好きなイギリスに行くことにしました。最初は「学校で音楽習えば何とかなるかな?」ぐらいの感じだったんですけど、行ってみたら、さっき話したロジックもそうだし、いろいろ分かったこともあって。で、足かけ7年間滞在したなかで4年間学校に在籍していたんですけど、最初の1年通ったら、あとは一緒にシェアして暮らしてるバンドメンバーとデモ作ったりして。学校は反省レポートを出してパスしていって。
−−(笑)。
Akeboshi:ただ、絶対に受けなきゃいけない授業は1日1時間ぐらいで、あとは「練習場所を提供するから自分で作っていけ」みたいな学校だったんですよ。で、ジョージ・マーティンが作ったものも含めて本格的なスタジオが5つぐらいあって、マイクとか機材も割としっかりしていて。1番高いボーカルマイクをバスドラに突っ込んだり、水の音を録るために誤って落としたり(笑)。
−−普通じゃなかなかできないような実験も出来たと。
Akeboshi:そうですね。あと、その学校での出会いが1番大きかった。そこで出会ったノルウェー人とイギリス人とアメリカ人とバンドを組んだりもしましたし。そのバンドでは当時流行っていたクラブジャズっぽいものを生でやったりしていたんですけど、イギリスで何度もライブをしたり、日本でもYELLOWとかでUFOのイベントに出してもらったり。メンバーも今はそれぞれでいろいろやってるみたいですけどね。
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