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BOOM BOOM SATELLITES インタビュー


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ALBUM
『ON』

2006.5.17 RELEASE
SRCP-401
\2,800(tax in)
SONY RECORDS

01.KICK IT OUT
02.BEAT IT
03.GIRL
04.SHOUT OUT LOUD
05.LET ME OUT
06.SO HIGH
07.PILL
08.GENERATER
09.EMPIRE
10.interlude slow
11.NOTHNG AT ALL
12.LOADED


 
BOOM BOOM SATELLITES レビュー 『ON』
Interviewer:平賀哲雄

−−今回「hotexpress」初登場ということで、ニューアルバムについてはもちろんなんですが、まず川島さんのミュージシャンとしての歴史みたいなものも聞かせていただきたいなと思っているんですが、川島さんが音楽に目覚めたキッカケって何だったんですか?こういう質問をされるのは久しぶりかもしれませんが(笑)。

川島:僕は1969年生まれなので、中学生ぐらいの時に日本のインディーズシーンで第一次パンクムーブメントが起きていたんですけど、その頃のイギリスでは“ポジティブパンク”という音楽があって、僕はそういうのを聴いていたんですよ。今の若い子たちの中では“ポジティブパンク”というと、お化粧系なノリばっかりが取りざたされてると思うんだけど、僕はもっとソリッドなギターにニューウェイブなビートとか、そういうものに傾倒していた時期があって。もちろんファッションとしてでもあるんですけど、そのムーブメントにどっぷりと浸かったのがバンドをやるキッカケで。みんながラフィンノーズとかウィラードとかエコーズ、あと当時全盛だったBOOWYTHE BLUE HEARTSPRINCESS PRINCESSバービーボーイズとかをやってる中で、僕だけキリング・ジョークとかエイリアン・セックス・フィエンドとか、そういうイギリスのパンクのコピーバンドを始めて。ポップ・グループとかも大好きで。で、高校生になると、そういうバンドは大概エレクトロニクスを導入していたりして、でもまだ機材が高いから僕らには手を伸ばせないようなものではあったんだけど、それの真似事を安い機材を使ってやったり。そんな流れですよ。電子音に対するロックの人が持つ嫌悪感みたいなものはなくて、シンセサイザーとかがステージの上にあることになんら偏見とかそういうのはなかったですから、積極的にリズムマシーンとかも入れてて。で、大学生になって、僕は僕でバンドを始めたんですよね。それがもうBOOM BOOM SATELLITESなんですけど。ベーシストと僕と、ドラムはリズムマシーンで、もう一人ギターがいて、そういう形でジーザス・ジョーンズとかE.M.F.みたいなことをやりだして。高校の頃、ジグ・ジグ・スパトニックとかも好きでしたから、そういうロックバンドが使うエレクトロニックミュージックっていうのが、わりと自然に自分の中に入っていって。シカゴアシッドトラックスも僕が高校を出た頃にはあって、303だけがビヨビヨ言ってるような、あれも結構衝撃的でしたからね。そういうのをウォークマンに入れてずっと聴いてたりとか、その辺はテクノの内ですけどね、またちょっと違って。その後に中野と会って、会った頃には、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとか、80年代後半のイギリスのギターロック、マンチェスタームーブメントとかの流れで、プライマル・スクリームとか、その辺をよく聴いてて。もうその頃のプライマル・スクリームは、アンディ・ウェザオールと一緒にやってて。で、僕らもそういう音楽をやりたいなと思って、ハッピー・マンデーズとかも聴いてたし。アナログとかも全盛になってきてて、12インチ買ったりとかして、ギターバンドのテクノミックスみたいなものもよく聴いたし。そうしている間にケン・イシイとかが出てきたり、田中フミヤさんも出てきたりして、で、僕らも彼らと同じところにデモテープを応募したりとかしている内にR&S(ベルギーのダンスレーベル)と契約することになって。っていうのが大雑把な流れになります。

−−ミュージシャンとしての目覚めとボーカリストとしての目覚めは一緒だったんですか?

川島:いや、僕は、キリング・ジョークとかをコピーしていたときはベーシストだったんですよ。でも高校に入ってからバンドにギターがいなかったので、僕がギターを持つようになって。で、大学に入ったらボーカルがいなかったので(笑)、ギターを弾きながら歌う形になって。最初、僕の声は歌声としてはあまり良い声じゃないと思っていて。絶対歌っちゃいけない声だと思っていたんですよ。でも自分の理想のバンド形態と音楽をやろうとしたときに「いないんだったら自分でやるしかない」と思って。で、歌声のことはとりあえず置いておいて(笑)、やってみたっていう感じですね。で、その後にデビューして、リリースを重ねる毎にいろいろ歌い方も変えてるし、今回の『ON』もいろんなボーカルスタイルを持っている中から選んで、一本筋が通っているものにしたというか、イメージがタイトだと思うんですけどね。でも最初は「歌はうたわない」って決めてました(笑)。

−−BOOM BOOM SATELLITESって、プロフィールとか見ると、いきなりヨーロッパでブレイクしたみたいな印象を与えますけど、そこに至るまでの過酷な下積み期間みたいなものはやっぱりあったんですか?

川島:過酷な状況はありましたよ。大学生の頃、打ち込みと、中野がベースで、僕が歌うたってギター弾いて、もうひとりギターがいて、後ろにDJがいたりとか、なんかワケの分からないメンバーが二人ぐらいいたりとか(笑)、そういったスタイルでライブハウスには週一ぐらいで出てて、横浜とか高円寺とか、あとはインクスティック鈴江ファクトリーというところが浜松町にあって、そこにはよく出てたし。そういう小さいライブハウスには普通のバンドと同じように出てましたね。その当時から異色なバンド扱いされていたので、ライブハウスのブッキングする人もどのバンドと一緒に組めばいいのかは迷っていて。でも当時は、WRENCHの元のバンド、Super Junky Monkeyとの3組でよくやってたんですよ。ただお客さんゼロで、お互いのバンドのメンバーがお客さんになりながらその夜を終えるっていう(笑)。まぁ異色だったと思いますね。ワケも分からずビジュアル系のバンドが集まるオールナイトのイベントにブックされることはよくあったし。そうすると、僕らは化粧とかしないですからね、髪も立てないし、当時のゴスロリの走りみたいな女の子たちにはまず興味のないバンドなわけで(笑)。よく目の前で寝てる人にヘッドポールをブツけたりとかしてました(笑)。

−−そんな状況からヨーロッパに向けて自分たちの音楽を発信しようという発想はどんな流れで生まれていったんですか?

川島:ちょうど街から音楽から発信される“ベッドルームミュージック”っていうモノが作られ出した頃で、ケン・イシイくんにしてもそうだし、マッシヴ・アタックもブリストルを代表してそういうモノをやっていたし、そういう流れで「僕らの音楽も世界で普通に聴かれるべき」「聴かせたい」っていう欲が出てきて、よく与太話でも出てきたりしていて。例えば、ビジュアル系のバンドだったらステップがあるじゃないですか。ライブハウスで活動して、次は渋公でやってとか。僕らはそういうのを全く無視していたというか、あんまり関係ないと思っていて、“どこででも聴かれる音楽”をやろうと思っていたし、そこには壁があることも分かっていたけど、まぁ若い故の疾走感みたいなものがありまして(笑)。

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