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いきものがかり インタビュー

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  アルバム
『ライフアルバム』

2008.02.13 RELEASE
ESCL-3046 \3,059(tax in.)


    01.Good Morning
    02.茜色の約束
    03.夏空グラフィティ
    04.青春ライン
    05.@miso soup
    06.ソプラノ
    07.花は桜 君は美し
    08.ちこくしちゃうよ
    09.心一つあるがまま
    10.ニセモノ
    11.東京猿物語
    12.月とあたしと冷蔵庫
    13.茜色の約束
-acoustic version-

 
  シングル
『花は桜 君は美し』


2008.01.30 RELEASE
ESCL-3045 \1,020(tax in.)



 
   
   
   
   
Interviewer:平賀哲雄
Page Design:杉岡祐樹
   
 
 
   
   いきものがかり、hotexpressインタビューに初登場!実は同郷が近いということでローカルトークが炸裂しまくりつつも(笑)、吉岡聖恵(vo)、水野良樹(g,vo)、山下穂尊(g,harmonica)の3人の音楽の目覚め〜最新アルバム『ライフアルバム』についての深い話まで、ガッツリと語って頂きました!

 
−−え〜、いきなりローカルトークでアレなんですけど、hotexpressと僕は、相模原市民でして、いきものがかりのことは、厚木や海老名で活動していた頃から知ってたんです。サンダースネークとか出入りしていたので。

水野良樹:電動シャッターのライブハウス(笑)。(※サンダースネークは、ライブ開演時、電動シャッターが上昇してステージが見えるシステムを導入している)

吉岡聖恵:とんでもない繋がりですよ、それは!

−−で、実は、ウチのサイトには、2005年3月26日、厚木市文化会館で行われたワンマンライブのレポートとかも載っていたりしてですね。いきものがかりはそれ以来の登場になるんですが。

水野良樹:お久しぶりです(笑)。

吉岡聖恵:あのライブレポートは相当衝撃的だったんですよ。「ライブレポートが書かれてるよ!」って、よっちゃん(水野良樹)が教えてくれて、「おまえら見とけよ」って。すごく嬉しかったのを憶えてます。

−−ただ、こうしてインタビューさせて頂くのは今回初ということで、今日はニューアルバム『ライフアルバム』の話はもちろんなんですが、いきものがかりのこれまでの歴史についても話を聞かせてください。で、まず最初は3人それぞれの音楽に目覚めたキッカケから聞かせてもらえますか?

水野良樹:僕はピアノを小さい頃からやっていたんですけど、小学校のときの担任の先生がピアノが苦手で、ギターで音楽の授業をやる先生だったんですね。で、それで初めてギターというモノを目の当たりにして、「あ、これは格好良いな」と思って、5年生か6年生のときの誕生日に親にねだって一番安いクラシックギターを買ってもらったんです。それからギターに触れるようになって、歌本みたいなのを買ってきては、家でカラオケをするかのごとく、当時流行っていたミスチルやスピッツの曲をギターで弾いて歌っていて。それで歌うのが大好きになって、中学時代に文化祭みたいなところでバンドやったりとか、どんどん音楽にのめり込んでいきました。

吉岡聖恵:ウチは家族が多くて、私が生まれたときにはひいばあちゃんもいたんですけど、年配の方って子供が生まれたらまず歌とか覚えさせるじゃないですか。それで私は2才ぐらいのときに童謡を30曲ぐらい歌えるようになっていたんです。当時のテープとか残ってるんですけど、その頃からすでに歌い上げていて。そんな感じで、雨が降ったら雨の歌だし、赤い靴を買ってもらったら赤い靴の歌だし、ずっと歌わされていて、それで歌が好きになって。で、小学校で合唱団に入って、中学校も合唱部で、高校も軽音部で、確実に歌の道を選んでいきましたね。運動部とかに入ろうかなと思った時期もあったんですけど、でも「歌があるなら」というところで、全部そっちに自然と寄っていきました。

山下穂尊:最初は僕もピアノを小学校3,4年生ぐらいのときに習って、それで初めて楽器に触れたんです。妹が「ピアノをやりたい」って言いだして、それでついでに「じゃあ、あんたも行ってこい」っていう感じで、やりたくなかったんですけど、無理やり習わされて。で、中学生のときに通っていた塾の先生がバンドをやっている方で、授業の1時間前ぐらいに行けば、ちょっとしたギター教室をタダで開いてくれて。それでギターを教えてもらったら、ピアノでやっていたこともちょっと理解できて、左手でコードを弾いて、右手でなんとなくメロディを作るようになったりしたんです。なので、キッカケはピアノと塾の先生のギター教室でしたね。

−−その3人がどのような流れの中で出会い、いきものがかりを結成することになるんでしょうか?

水野良樹:山下と僕は小学校から一緒で、そのまま中学、高校と一緒だったんです。で、僕らの名前の由来が、2人が小学校1年生のときにクラスで生き物係をやっていたからなんですけど、実はその小学校1年生のとき以来、対して繋がりはなくて(笑)。クラスが違ったりして、部活も違うし、遊ぶ仲間も全然違うし。ただ高校に入ったときに、同じ中学出身で来てるんで、まぁ受験とかも一緒に受けたりするわけで、そこでちょっと話すようになったんです。で、すごく部活が盛んな高校だったんですけど、僕ら2人だけ部活に入ってなくてですね。実家も歩いて2,3分の距離だから帰り道も同じで、そこで普通に話すようになって。それで、まぁ部活やってないからあまりにも暇で「どうしようかね?」って言っていた時期に、ちょうどゆずさんがデビューして、路上ライブが巷でぶわぁ〜って流行ってて。それが面白そうだったんで、まぁ暇だし、やってみることにして、お互いギターを持ってですね、街に出たんです。

山下穂尊:相模大野ですよ。

−−冬に巨大なクリスマスツリーが立つ、あの辺で(笑)。

山下穂尊:そこで、山崎まさよしさんの『Fat Mama』を初めて演奏して。で、まぁ2人で相模大野の駅でガチャガチャと、暇を見つけてはやって。それが結構楽しかったんですよ。サガジョ(相模女子大学高等部の略)の女子高生とか、暇な中高生がたくさんいて、友達になったりして、すごく楽しくて。で、まぁなんとな〜く2人なりに、ちょっとお客さんが集まったり集まらなかったりする中で路上ライブを続けていたんです。それが半年ぐらい続いたんですけど、男性2人組でゆずさんのコピーとかしてる人たちが至るところにいて、俺らもその一端で・・・、「同じことをやっててもつまらんな」っていう風になっていって。お客さんが増えていくのが楽しかったんですけど、これ以上増える見込みもないし、埒があかないなと思って、良樹と話をして。で、当時って、ボーカルの女の子が入っている路上ユニットってあんまり居なかったので、俺らが後ろでギター弾いて、その真ん中で女の子が歌っている3人組ユニットの方が面白いんじゃないかなって。お客さんの層も変わってくるだろうし、もっと集まるんじゃないかって思ったんですよね。

そしたらたまたま同級生の1コ下の妹に聖恵がいて。で、聖恵も当時、路上ライブをやりたがっていたんですね。そんな感じでタイミングが良くて、聖恵を入れた3人で相模大野の路上でライブをやったんです。

吉岡聖恵:最初に相模大野の路上に飛び入りしたときは、リーダー(水野良樹)とは面識あったんですけど、そんなに深く知ってるわけでもないし、「無口な人だなぁ」って思ってて。

水野良樹:(笑)。

吉岡聖恵:で、山ちゃん(山下穂尊)とは初対面で、「あ、ちょっとモテそうな人だなぁ」と思いつつ、「どうも」って言って。で、ろくに会話もせず、キー合わせして、当時誰もが知っていた、ゆずさんの『夏色』を確か歌ったんですよ。それが最初ですね。
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