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坂上弘 インタビュー

Album

『千の風になる前に』
2009.06.03 RELEASE
VICB-60044
\2,300(tax in.)

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01.時をかけるシンガー
02.毎日サニーデー
03.Bitter and Sweet
04.人にやさしく
05.蜂地獄
06.麦わら帽子
07.後期高齢者地獄
08.千の風になって
09.時をかけるシンガー(Nacked ver.)

大正生まれの最後の新人 坂上弘が遂にメジャーデビュー!

日本を代表するジャズトランペッター・日野皓正の先生にして、クレイジーケンバンドや伊集院光など、多くの著名人がリスペクトを表明する日本最高齢のシンガーソングラッパー。坂上弘が本年88歳にしてまさかのメジャーデビューです! 大正10年より始まった数奇な人生を辿りながら、幻の名盤解放同盟との出会いからデビューアルバム『千の風になる前に』についてまで、余すことなく伺ってきました。

−−そもそもはオペラを聴いて音楽に目覚めたんですよね?

坂上弘:小学校の頃は音楽の時間に歌う『荒城の月』なんかが好きでね。それで工業学校ではラッパ隊に入隊して、その後、満州に行って炭鉱で働くんですけど、そこにはブラスバンド部があったんですよ。それからずっとトランペットをやっててね。

−−満州時代は合唱団にも参加されていたんですよね?

坂上弘:新京(満州の首都)にはシンフォニーがあったんですよ。終戦までやってたんだけど、(昭和)19〜20年になると内地は食料難でしょ? 満州はそれほどじゃなかったから、その頃は 服部良一さん(※1) とか日本の有名な音楽家もいっぱい来ましたよ。それに満州での勤務は楽だったんだよ、朝10時出勤で4時で終わっちゃうから。僕は設計課におりましたけど、仕事よりも音楽でね。最後の方は会社もみんな理解してくれましてね(笑)。

−−では終戦後というのは?

坂上弘:ちょうどソ連が参戦して爆撃が来るようになった頃、僕らは大砲の移動修理班だったんですよ。その任務で撫順の方に下って、着いたのが8月5日くらいだったかな。そうしたら終戦になった訳だ。現地の人間は除隊になって、1年後くらいに日本に戻って田舎にいたんだけど、旧知だった 二村定一さん(※2) がわざわざうちまで訪ねてきてくれて、「トランペットを吹いてくれ」っていうので2〜3か月バンドをやって。
その後は実家の仕事を手伝ったりしてたんだけど、4月頃に満州交響楽団でアルトサックスを吹いていた東松ニ郎さんっていう服部先生の弟分がいらっしゃってね。「君も来い」っていう訳で東京に出たのが昭和21年くらいかな。

−−トランペッターとして活動していた頃はファンの方などもいましたか?

坂上弘:そこまでは無かったよ。当時は 菊池滋弥さん(※3) 渡辺晋さん(※4) と一緒にやってたんだけど、まだ日本国民は余裕がなかったから、音楽を楽しむことなんてできなかったんだよね。

−−また、当時は音楽学校で講師などもされていたんですよね?

坂上弘:昭和28年くらいかな、千駄ヶ谷辺りにジャズ学校ができたんですよ。その頃は新宿のキャバレーで演ってたんですけど、「先生にならないか」ってきた訳ですよ。その時に 日野皓正くん(※5) が生徒として来たりね。

−−しかし、そんな中で結核を患ってしまいます。

坂上弘:昭和32年、うちに帰って寝てたら胸の辺りに熱いものがこみ上げてくるんです。で、口元をちり紙で拭ってみたら血なんですよ。次の日、新宿の病院に行ったら結核だと。戦前は結核なんて99%が死んじゃう病気だったし、兄貴も姉さんふたりも結核で死んじゃってたから、真っ青になりましたね。女房からも「二度と面倒見ないからね」って引導を渡されちゃったんだから、ハッハッハッ! で、3年くらい療養した後、女房と相談してBARをやることになったんだよ。

−−ではその後は奥さんとBARを経営していく毎日に?

坂上弘:いや、女房が癌で死んじゃったんだよ。……出会い? 昭和20年にね、(正月に満州から)うちに帰った時に居たんだよ。遠縁で向こうのお父さんが連れてきたんだけど、良い女だしすぐプロポーズして満州に連れて行ったよ(笑)。でも苦労ばっかしかけたねぇ! ……まあ、それでBARもうまく行かねえしさ、パッと見切りをつけてパチンコ屋に行ったんです。

−−でもそのパチンコ屋でも主任にまで昇進するんですよね。

坂上弘:その後、弟がレンタルビデオ屋をやるっていうんで、一緒にね。

−−そして、名曲 『交通地獄』(※6) でも有名な事故に遭われてしまうと。

坂上弘:そうそうそう(笑)。停まっていたトラックの右脇を通りすぎようとしたら、凄いスピードで抜いて行こうとするトラックにカーンッとぶつけられてね、腰の骨が折れてしまったんですよ。それで入院するんだけどさ、これがまた大変で……(以下、入院時の苦労話が続く)

Interviewer:杉岡祐樹
Page Design:梅原直也