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ソウル・フラワー・ユニオン インタビュー

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アルバム
『ゴースト・ヒッツ 00〜06』

2006.09.20 RELEASE
[限定盤]
XBCD-1016
\3,675(tax in.)


[通常盤]
XBCD-1017
\3,150(tax in.)


01.うたは自由をめざす!
 (2006 DERACINE REMIX)
02.サヴァイヴァーズ・バンケッド
03.永遠の語らい
04.世紀のセレナーデ
 (2006 DERACINE REMIX)
05.殺人狂ルーレット
06.ピープル・ゲット・レディ
 (2006 DERACINE REMIX)
07.荒れ地にて
08.緑の沖縄
 (2006 DERACINE REMIX)
09.ビッグ・アップル
10.クレイジー・ラヴ
11.フリー・バルーン
12.リキサからの贈り物
13.そら(この空はあの空につながっている)
14.極東戦線異状なし!?
15.神頼みより安上がり
16.不死身のポンコツ車
17.松葉杖の男





ソウル・フラワー・ユニオン
レビュー
『ゴースト・ヒッツ 00〜06』
ソウル・フラワー・モノノケ
サミット インタビュー
『デラシネ・チンドン』
ソウル・フラワー・ユニオン
ライブレポート
『芸能生活20周年
人生40周年記念ツアー』
 
Interviewer:杉岡祐樹
 


 ソウル・フラワー・ユニオンが約5年ぶりにベストアルバム『ゴースト・ヒッツ 00〜06』を発売した! 映画サントラとなった『UNCHAIN』をはじめ、インディーにシーンを移した直後から最新アルバム『ロロサエ・モナムール』までの活動をぎゅっと凝縮! まさにソウル・フラワー・ユニオンの活動をダイジェストで綴ったドキュメンタリーとも言える一枚に仕上がった。
  そんな訳で今回もモノノケ・サミット・インタビューと同じくその中心人物である中川敬(唄、ギター、三線、etc)に、各アルバム 発売当時を振り返って頂きながら様々な質問に答えてもらいました。全17曲、珠玉のメロディと自由に広がっていく音楽性、何よりソウル・フラワー・ユニオンのバンドとしての強靱さ。中川ならではの力強い言葉に是非触れてみて下さい!


−−まずは2000年に発売された、豊田利晃監督の映画『アンチェイン』(※1)のサントラ『UNCHAIN』ですが、当時、豊田監督がソウルフラワーのレコーディングをさして「豪快な一発録りをイメージしていたが、緻密で驚いた」という話をしていたのが印象的でした。

中川:それは制作費の問題もあったよ(笑)。まあ、映画製作の内情も理解出来るから、ソウル・フラワーのプライベート・スタジオで「ああでもない、こうでもない」って言いながら実験とダビングを積み重ねるようなレコーディングに成らざるを得なかったっていう側面があるよね。ただ、豊田がレコーディングに顔を出したのが、まさに緻密な作業の時期やったっていうのもあるよ。

−−そして次のアルバム『スクリューボール・コメディ』から、ソウル・フラワー・ユニオンはレーベルをインディーに移しました。

中川:ソニーと契約が切れて、当初他のメジャー・レーベルを考えたりもしたんやけど、元々インディーで活動を始めて、10年間メジャーでやってきて、「わかった」という感じもあったというか。別にメジャーでやっているからといって売れるわけではないし(笑)、メジャーで「やりたいこと」が変わるわけでもなかった。メジャーでやっても常に制作の主導権はバンドが握ってたから、問題は金とスタッフ数の問題だけやなと。結論は、インディーの方が良いということになったね。

−−メジャー、インディーのそれぞれの長短所を挙げるとすると?

中川:メジャーのレコード会社にとっては100もあるアーティストのうちの1個に過ぎないということでもあるわけやん。そうなると、結局スタッフの人数が多くても「ちゃんとやってくれない」ということが起こる。だからある意味、メジャーでのニューエスト、メスカリン、あるいは初期のソウル・フラワー・ユニオンっていうのは、レコード会社側がある種、力を入れてくれてたというのがあった。ワガママも通ったし、制作費・宣伝費をうまく引き出すこともできた。でも、そうじゃないと逆にメジャーでやる利点はあまり見い出せないね。むしろ自分らで責任を持って、すべての流れを理解した上で(インディーで)やった方が、魂のこもった、責任あるいい作品が作れるよ。問題は人(スタッフ)の数と宣伝費。やっぱりメジャーの時のようにあらゆるメディアに露出することはできないよね。ここはやっぱり、しんどい。

−−ミュージシャンと言うのは良い曲を作れば売れると若い頃は思っていたりするものですよね。

中川:いや俺はハナからしらけてたね。伊丹英子(※2)と飲むと当時の話も出てくるけど、87年頃にインディーズ・ブーム(※3)があって、次にバンド・ブーム(※4)なるものが到来して、そこで、立ち遅れたありとあらゆるレコード会社が俺らのバイト先までやって来たわけよ、「ウチと契約して下さい」って。今では考えられないくらいにこっちが選べる状況やったけど、あの頃のことを思い出すと、不思議なくらいメジャーと契約するのが嫌やったよ、俺らは。当時の俺らにとっての格好いい日本のパンク・バンドっていうのは、例えば、名古屋でインディペンデントでやってる原爆オナニーズであったりして、メジャーのロック・バンドのありようや音楽の質には完全に幻滅してたからね。
メジャーに行きたいとか、良い音楽やってる人が売れるとか、そんなウブではなかった(笑)。そこは完全に冷めてたね。格好いい、意味ある音楽が売れるのであれば、当時なら原爆オナニーズがオリコン・チャートのトップにいるはずや(笑)。そうではないことを俺は10代後半の頃から深く理解していた。

−−そこの部分で、若い頃は悩みやジレンマもあった?

中川:いわゆる、インディーズ・ブームみたいな言い方でくくられちゃったけれど、当時はDOLLや宝島、FOOL'S MATEあたりの雑誌が、相当音楽産業に背を向けた誌面作りをしてたり、ラフィンノーズや有頂天のような開拓者達が出てきていて、まさに「行け行け」の状況やった。「悩む」とか、全く逆。「やれるやん自分らで」みたいな感じよ。それまでの時代やったら、レコード会社の言うこと聞かないとレコードを出せないとかあったと思うけど、そうじゃない気運が高まってたしね、80年代後半。ソノシート作れるやん、自分らで!ってことやね。

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