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懐かしむ訳でもなく、若ぶる訳でもなく、これまでもそうであったように新しいTHE BOOMを届けていく。今までの20年間の歴史で一番格好良いTHE BOOMを見せていく。昨年、日伯移民100周年を迎えた年にホコ天時代からの夢を叶えた彼らが、今また新たに、その胸に熱く滾らせる想い。宮沢和史(vo)、小林孝至(g)、山川浩正(b)、栃木孝夫(dr)、4人揃い踏みでTHE BOOMを語ってもらった。
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−−今日インタビューさせて頂くことが決まって、まずお聞きしたかったのが、昨年9月に行われたフリーコンサート【10,000 SAMBA! 〜日伯移民100周年記念音楽フェスタ〜】の話で。僕も伺わせて頂いたんですが、約3年ぶりのTHE BOOMでのライブはどんな気持ちになりました?
山川浩正:宮沢がGANGA ZUMBAで日伯移民100周年記念のイベントをやると聞いて、最初は「凄いなぁ、観に行かなきゃ」って普通に思っていたんですが、宮沢の弾き語りコンサートで久しぶりに4人で集まって1曲やった、その日に初めてTHE BOOMでも出演するって聞いたんですよ。それで「これはちょっと頑張んなきゃな」って(笑)。
栃木孝夫:無料ライブでジルベルト・ジルを呼んで1万人ぐらい集めたいって言われて。そういった意味では非常に緊張感はありましたね。しかもあの日はサウンドチェックもなくていきなり本番っていう形だったんです。でもあんなにたくさんの人たちの前で久しぶりのライブができたのは、凄く嬉しかった。
−−しかもあの日は『星のラブレター』や『中央線』など、選曲も誰もが楽しめる内容となっていて。それを日本人だけじゃなく、いろんな国のファミリーとかが聴きながら揺れたり踊ったりしてるのが、個人的にはすごく嬉しくて。
宮沢和史:日本人がブラジルに渡って100年。僕たちに何かできないか?と思ってあのイベントを開催しました。日本にはたくさんのブラジル人の方がいますからね。30万人以上と言われているんですけど、その人たちと日本人が、実はまだイマイチ交流ができていない。で、あれからまた半年後、世の中が不景気になって、いろんな職場でブラジル人が先に辞めさせられてしまっているというニュース等を耳にします。こんなにいろんな産業に貢献してくれているのに。だからこそ音楽で、さっき仰られたような、みんな同じ場所で我々と一緒に楽しんでもらえる時間を作りたいなって思った。それで「在日ブラジル人の方々は誰が来たら喜ぶだろう?」と考えて、ジルベルト・ジルに声をかけました。ジルのことは誰もが知ってるし、文化大臣も務めていたので。あのイベントはそういう大義というか、テーマがあって行ったイベントなんです。
THE BOOMとしては「来年20周年が来る。活動をもう一回再開するぞ」ってことをを、多くの人、そして長い間待っていてくれた人たちの前でまずきっちり伝えたかったので、あの場が相応しいんじゃないかなとメンバーに声をかけました。フリーコンサートだし、場所も横浜ですし、いろんな人が来やすいですよね。僕らを初期の頃から応援してくださってる方は、もう家庭を持ったりして、なかなかコンサートに足を運べなかったりする方もいますが、そういう人も来やすい状況だったんじゃないかと思います。その中で「来年は20周年、いろいろと動き出しますからぜひ応援してください」という、THE BOOM的にはそういう場でもありました。
−−THE BOOMのステージ後、ジルベルト・ジルが『ノー・ウーマン・ノー・クライ』を披露して、それでまたみんなが歌ってる光景があったりして。みんなが音楽に求めてるモノや、在るべき形みたいなモノは、どの国も変わらないんだなぁと思いました。
宮沢和史:音楽っていうのは、よく「国境を超える」とか言いますけど、とても難しいことなんです。でも共有することはできますよね。ジェネレーションの違う人も国籍が違う人も、同じ時間を同じようにピースフルに過ごすことができる。僕らがやりたい音楽っていうのは、お年寄りも小さい子も外国の人も一緒に踊れて、ピースフルな気持ちになれるモノ。そういう音楽を目指しているし、あの場は確かにそういう音楽が流れていましたよね。
−−そして最後に全出演者がステージに集まっての『島唄』大合唱。しかもステージからの光景は客席があって、その後ろに広大な海が広がっているっていう。
小林孝至:凄い感無量というか、ジルベルト・ジルやGANGA ZUMBAのメンバーと一緒にあの曲をやることなんて無いだろうなって思ってたから、あの瞬間に特別な1曲になりましたね。
山川浩正:後から出演者一同がステージにバァ〜と並んでる写真を見て「おぉ!」みたいな(笑)。友達とかもたくさん来てくれていたんですけど「やっぱりあの歌は凄かったね」って言ってくれたりして。もちろん演奏しながらもそういう実感はあったし。あのメンバーであそこで『島唄』をやれたっていうのは、嬉しかったです。
−−あのフリーコンサートで『島唄』を最後にやるっていうのは、構想の中では最初からあったんでしょうか?
宮沢和史:日本人と在日ブラジル人、またそれに限らない様々な国の人たちと交遊する場を作るっていうのが一番のテーマでした。その締め括りには、やっぱりみんなが知ってくださっている『島唄』がピッタリなんじゃないかと思いました。ジルとも一緒に歌いたかったので。
−−元々は沖縄の音楽に魅了されて、THE BOOMの作品として発表した楽曲ではありますが、それがあの日あの場にいた人たちにとってもそうですし、特別な意味をどんどん持つようになっていってる『島唄』のパワーには、どんなことを思ったりしますか?
宮沢和史:国籍とか民族とか宗教とか「関係ないな」っていう実感を、自分のこととして体験させてくれた曲ですね。沖縄で生まれた歌なんですけど、今はアルゼンチンの人が歌えばアルゼンチンの風景が見えるし、中国の人が二胡で演奏すると大陸の風が吹いてくる。歌う方、演奏する方によって、その方たちの場所が見える曲なんですよね。だからいろんな人が歌ってくださいます。自分の故郷、生きている場所の讃歌みたいなね。
余談ですが、日系人の人は世界中に居て、その中でも沖縄の人が多いんです。ブラジルもアルゼンチンも沖縄系の方が一番多い。彼らが『島唄』をいろんなところへ広めてくれました。沖縄の持つ戦争の悲劇があって、それが「二度と起きないように」という祈りみたいなモノです。その祈りは沖縄の祈りであって、だから僕らが作った歌というよりも、それを僕らは音楽家として音楽にして歌わせてもらったっていう印象ですね。
−−ここでちょっと大きな、それでいて抽象的な質問をしたいんですが、メンバーの皆さんそれぞれにとって、THE BOOMはどんな存在のバンドだと言うことができますか?
栃木孝夫:当事者なんですけど、ときどき「THE BOOMって良いバンドだよなぁ」って客観的に思っちゃうときがある。凄いメンバーの中に俺はいるなって(笑)。だから緊張感もあるし、常に「ちゃんとやらなきゃな」っていう気持ちでいられる。あたりまえですけど、自分にとって大切な場所ですね。
山川浩正:最初はね、自分を出す場だったかもしれない。プレイヤーとして「ここであんなことしてやろう」みたいな部分があったかもしれないですけど、今はそうじゃなくて「ここで俺が何をできるか」とか「THE BOOMの中での俺は何ができるか」っていうのを探している。それはTHE BOOMを離れてるときも。音楽をやってるとき、音楽を聴いてるとき、常にそれは探している。THE BOOM以外の場所で音楽をやっていても「THE BOOMならこうやるだろう」って考えるし。すべての考え方の中心にある存在ですね。
小林孝至:遠慮しないでどこまでもアクセル踏める場所にしたいと、常に思っています。だからTHE BOOM以外の場所から戻ってきたときに、思いっきり音楽を楽しめるんですよね。また、他の現場でプレーするときは、THE BOOMに恥ずかしくない立ち位置に居なきゃいけないなっと思ったり。そんなことを最近は歳のせいか(笑)考えるようになった。前はただ「ガムシャラにやってればいいや」みたいなところもあったんでしょうけど。
宮沢和史:いろんな場面がありますよね。音楽が好きで子供の頃からまぁ人よりは音楽を聴いていて。それはとても狭い世界ではあったんですけど、でもプロになってから探求心みたいなモノが出てきて「勉強しよう」と思っていろんな音楽を聴き出しました。それを次に出す作品にすぐに反映していく、そんな20年間でしたね。いろんなモノをいろんな場所で知って、そこで憶えたことを試したり、すごく実験を繰り返してきたバンド。43年間を生きてきた中の20年間がそうでしたからね、「THE BOOMはこんなバンド」って簡単に言えるほど小さくないです。
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