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−今回のインタビューはベストアルバム『Good Luck To You』のリリースタイミングということで、有里知花さんのアーティストとしての歴史を紐解きながら、この『Good Luck To You』に触れていきたいと思うんですが、まず音楽に目覚めたキッカケ、ここからお話しを聞かせて下さい。

有里知花(以下:Y):音楽に目覚めたキッカケは、両親がすごく音楽が好きで、父がハワイアンミュージック、母がカントリーをよく聴いていたんですよ。そういった環境で育ったので、自然と音楽は好きになってましたね。

−「自分で音楽を作ろう」と思ったのはいつ頃だったんですか?

Y:3歳でピアノを始めたんですけど、記憶にない頃から作曲というものを始めていたみたいです。その当時に私が作った曲をピアノの先生が楽譜に残して下さっているんですけど、その楽譜を見てみるとちゃんとした一曲になっていて、当時から曲を作るのは好きだったみたいですね。

−親からすると、「この子、天才なんじゃないか?」みたいな。

Y:絶対思ってましたよ(笑)。

−中学・高校と、“English Drama Club”というところに所属していたそうですが、これは一体?

Y:いわゆる英語劇部で、英語でミュージカルをやるんですよ。年に2回くらいかな、公演があって、年中それに向けて練習してる感じで。色んなミュージカルをやりましたね。

−どういった成り行きで入ることになったんですか?

Y:“中学部展”ていう文化祭みたいなものが冬にあって、それを観に行ったら、偶然その“English Drama Club”が英語劇をやっていたんですよ。そこで先輩達のエネルギーっていうか、一生懸命歌ったり、踊ったり、何かを伝えようとしている姿を観てすごく感動して、「入りたいなぁ」と思って。でも、いざ中学に入ったら他にもやりたいことが沢山出てきて、ハンドビルとか、管弦楽部でヴァイオリンやってみたいとか、あと、野菜育ててみたいなのとか(笑)。そういった誘惑がすごく多かったんですけど、最終的に“英語劇”って決めたんですよね。だから、そこでもし決めてなかったら、もしかしたら歌はやっていなかったかもしれないし、別な道を歩いていたような気がしますね。

−では、今の音楽活動の大きなルーツになっているんですね。

Y:そうですね。やっぱり人前で歌う、人前でパフォーマンスをして何か自分の気持ちを伝えるとか、そういうのは全部英語劇部時代に学びましたから。

−その演劇をやっている中で、純粋に音楽という部分だけを追求してやっていこうと思ったのは?

Y:ミュージカルをやっている中で、カセットデッキとかでよくカラオケモードとかってあるの分かります?あのボーカルだけがちょっと後ろにいくような、アレを使っていつもやってたんですね。で、ずっとそれに疑問があったというか、「自分が歌っているのに、後ろからも歌が聞こえるのは変だな」っていうのがあって、それを思ったのは高校の時だったんですけど。で、自分でカラオケを作ってみようかなと思って、「QY700」だったかな?ギター用のシーケンサーを買ったんですよ。それで、自分でテープで聴いて、それを再現するっていう作業をやり始めたんですね。そこで、打ち込みというか、音を重ねていくことの楽しさに目覚めて。あと、中学の頃、ピアノをやっていたから、演奏部分を任されていたっていうのもあるんですよ。そういうところで、音楽に対する意識っていうのが芽生えていきましたね。

−そういった学生時代の活動から、2001年の7月のデビューに至るまでは、どういった経緯があったんですか?

Y:「歌手になりたいな」って漠然と思い始めるわけですよ、ミュージカルとかやっていると。で、最初は本当に夢見る少女というか、「歌手になりたい」って漠然と思って、で、両親にも伝えたらすごくビックリしていて。そこで、「デモを作ろう」っていう話になって、出会ったのが“ケネス・マクアカネ”というハワイのソングライターだったんですよ。で、初めて書いてもらった曲が『I cry』で。訳も分からないまま初めてハワイのスタジオに入って、その『I cry』という曲を歌ったら、周りの反応が良くて、自分でも信じられないぐらいに。で、それをまた日本に持って帰って色んな人に聴いていただいた時に、すごくいい反応が返って来て、それが今のプロデューサーの耳にも入って、デビューすることになりました。

−デビューアルバムから“ハワイ”のイメージが“有里知花”というアーティストにあったのは、ケネスとの出会いがあったからこそなんですね。

Y:ケネスと会わなかったら確かにそのイメージはなかったかもしれない。ケネスに出会うまでは、“槇原敬之”さんの「素直」だったり、“宇多田ヒカル”さんだったり、わりと流行りの曲をデモテープに録音したりしていたので。それで、ケネスに出会って『I cry』という曲が生まれて、そこから“ハワイ”という要素が出てきたのかな。でもやっぱり、自分の中で“ハワイアン”は小さい頃から聴いていたし、すごく好きだったから、

 ハワイをはじめ、アジア各国や南アフリカなどなど、その音楽活動の場を国内のみならず世界に広げている稀少な女性アーティスト・有里知花。言葉の壁を越え、その音楽と歌声だけで世界を歩けるアーティストは日本だけに限らず、世界レベルで見ても数えるほどしか存在しなかったりする。それだけ彼女の曲は万国共通、どこで歌っても愛されるということだと思うのだが、本人はいたって普通だったりする。ついこの前まで女子大生であったことにも違和感はないし、「世界で通用するためには」なんてちっとも考えていない。ただ、歌いたい音楽を作り、歌う、それだけ。あくまで自然体。「名は体(たい)を表す」なんて言葉があるが、音楽もまた体(たい)を表すんだなと、つくづく感じさせられた。

 そんな『hotexpress』初登場、有里知花 SPECIAL INTERVIEW、ご覧下さい。

対談

有里知花
×
Tetsuo Hiraga


Selected Best Album
「Good Luck To You」

01.Good Luck To You
02.When you smile
03.Pray you'll come back-share the ALOHA-
04.あなたに会いにいこう
05.I Cry
06.Sunset
07.友情
08.Island Dancer-noviember MIX-
09.涙の物語
10.SURFRIDER'S BEACH PARTY
11.砂浜レター
12.UNDER THE MOONLIGHT
13.風にたくして
14.手のひら

WKCL-3012
¥3,000(tax in)

2005.3.24 in STORES

有里知花 オフィシャルサイト>
http://www.yurichika.com/

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有里知花

潜在的にはあったと思います。で、ケネスもパンダナスクラブというバンドを組んでいたんですけど、そのパンダナスクラブのCDとかも、私がまさに小さい頃聴いていたものだったので、「この人に曲を書いてもらえる」ってことはすごく夢で、信じられない気持ちでしたね、最初は。良い具合に巡り合ったような気はします。

−運命的な伏線をその時は感じたというか?

Y:そうですね。ケネスも「僕の曲にピッタリな声をしてるのは知花だ」って言ってくれるし、私も「私の声を活かした曲を書いてくれるのがケネスだな」っていうのをすごく思いましたからね。

−その『I cry』はもちろん今回のベストにも収録されているわけですが、自分の中で『I cry』がこんなに大切な曲になっていくというのは、初めて聴いた時には想像しました?

Y:想像してないですね、まったく。しかもこの曲が後々ハワイでも発売されることにもなり、日本以外のアジアの国とか、南アフリカとか、色んな国に渡っていったっていうのは、それこそ予想もしていなかったし、考えてもみないことだった。でもすごく嬉しいことですよね。まさか自分の歌が日本以外の国で聴かれるようになるとは思ってもみなかったので。

−運命的な伏線をその時は感じたというか?

Y:そうですね。ケネスも「僕の曲にピッタリな声をしてるのは知花だ」って言ってくれるし、私も「私の声を活かした曲を書いてくれるのがケネスだな」っていうのをすごく思いましたからね。

−その『I cry』はもちろん今回のベストにも収録されているわけですが、自分の中で『I cry』がこんなに大切な曲になっていくというのは、初めて聴いた時には想像しました?

Y:想像してないですね、まったく。しかもこの曲が後々ハワイでも発売されることにもなり、日本以外のアジアの国とか、南アフリカとか、色んな国に渡っていったっていうのは、それこそ予想もしていなかったし、考えてもみないことだった。でもすごく嬉しいことですよね。まさか自分の歌が日本以外の国で聴かれるようになるとは思ってもみなかったので。

−ちなみにこの『I cry』という曲は、どういった内容を歌っているんですか?

Y:例えば恋をした時に、自分の伝えきれない想いとか、色んな不安な気持ちとか、嬉しい気持ち全部ひっくるめて、そういうのを自分の中でスーっと解決させる為に私は泣くっていう曲ですね。すごくピュアで、ケネスの歌詞ってどれもそうなんですけど、彼は独特な純粋な感性を持っていて、ラブソングひとつにしてもとてもシンプルなんだけど、「今までこんなこと誰も書かなかったな」っていうような内容が多いんですね。

−今まで何度もライヴなどをやって来た中で、一番多く歌ってきた曲だったりするんですか?『I cry』は。

Y:一番多いですね。やっぱり段々年数を重ねるに連れて歌い方も変わってきたり、アレンジも変わってきたり、自分の中での気持ちも徐々に変化してきたりしてますね。

−「“有里知花”の代表曲」と言っても良い感じはありますよね。

Y:それは嬉しいですよね。シンプルに4つのコードなので、どこに行っても歌える曲なので。例えばギターを持っている人がいたら、コードを4つだけ教えれば、どこでも歌えるんですよね。そういった曲に最初に出会えたのは本当に有り難いです。

−2001年11月には『Island Dancer』というシングルをリリースされましたが、この曲にはどんな思い入れがあったりしますか?

Y:これもケネスの曲なんですよ。ファーストアルバムに入ってて、珍しくマイナー調な曲だし、ちょっと情熱的というか。なので、気に入っていて、プロデューサーもこの曲がすごく良いから「シングルカットしよう」って言って下さって。で、「リカットするんだったら私的にはアレンジを変えたい」ってお願いしたんですよ。それで、あるアレンジャーさんにお願いをしたら、もう希望通りのアレンジが出来て。より情熱的というか、ちょっと一枚洋服を脱いだような感じというか。そんな大々的にアレンジを加えたわけではないんですけど、ちょっとしたグルーブ感だったりとかを変えたんですよ。そしたら、ボーカルは変えていないのにテンポ感が変わったような気もするし、雰囲気も変わったし、「依頼して良かったなぁ」って。

−で、その『Island Dancer』をリリースした翌年、“ホノルルフェスティバル”に出演したんですよね?

Y:そうですね。二千人ぐらいの前で歌ったんですけど、色々考えてる暇もなく、「やるっきゃない」という感じで(笑)。でも、皆さんが盛り上がってくれたから、「良かったな」って思ったし、あれでちょっとシーンとしてたら自信喪失してましたね(笑)。

−(笑)。その“ホノルルフェスティバル”の出演も経て、同年4月に『WHEN YOU SMILE』をリリース。この曲にはどんな思い入れがあったりしますか?




Y:これもケネスに作って頂いて、デモが出来た段階で、私の中でサウンドのイメージがすごく膨らんだんですよ。で、アレンジをとあるアメリカのレコード会社のアーティストのクルーの人達にやってもらうことになって!まるで夢のようでしたね。ニューヨークでレコーディングをしたんですけど、実際そのアレンジを作っている現場とかも見て、すごく色んなことが勉強になって。夢として描いたものが現実になったのが「すごく幸せだなぁ」と思って。あとは、向こうの方にヴォーカルの指導とかもして頂いて、「こういう気持ちの込め方もあるんだなぁ」とか知ったり、実際に“グラウンド・ゼロ”を見て色々感じたり、気持ちの上で色んなものを感じていた時期でしたね。

−“グラウンド・ゼロ”を見て何を感じましたか?

Y:今も残ってるのかは分からないんですけど、“Missing”って書かれたポスターとか、花とか、ぬいぐるみとか、そういったものが生々しくいっぱい置いてあった時期で、すごく心に衝撃を受けたし。あと、ニューヨークのはずれ、“SOHO”の一角で写真展をやっていたんですけど、そのテロの現場の写真とかがいっぱい展示してあって、胸が締め付けられる想いとか、改めて平和に対する想いっていうのも感じて。このタイミングでニューヨークに行ったのは、すごく大きかったですね。

−有里さんの音楽ってピースフルな楽曲が多いですけど、そこで感じたものがあるからこそ、なおさらそういった音楽を歌い続けている部分ってありますか?

Y:ありますね、やっぱり。こういう時代に私が歌をたまたまやっていたからそういう風になったのかも知れないけど、元々性格が争い事を好まない性格だし、やっぱり「平和でありたい」っていうのはベースにあったから、この時期に「もっと大きくそれが芽生えたんじゃないかな」って思います。

−そこでの経験が活かされたと思われるセカンドアルバム『Oceans of Love』ですが、今振り返るとこの作品はどんなアルバムだったと言えますか?

Y:ファーストの時はですね、やっぱりいきなりアルバムデビューだったので、初めてのことが多すぎてよく分からない中で作っていたんですよね。それが、セカンドではわりと自分でアレンジのイメージをアレンジャーに伝えられたりとか、「こういう曲をやりたい」って言って、ケネスと一緒に作ったり、自分で作ったりとか、そういうのがあったので、ちょっとだけ音楽制作に自分が進んで参加できた作品第一号っていう感じだと思います。

−『涙の物語』、『SURFRIDER'S BEACH PARTY』、『UNDER THE MOONLIGHT』。

Y:あぁー、もう正にそんな感じで作れた曲ですね。作詞したり、作曲したりとか、「こういうアレンジでやりたい」とかっていうのは、すごく言った気がします。

−ちなみにそのセカンドから今回のベストには、(シングルを除くと)今言った3曲が入ってますけど、これらの曲を選んだ理由は?

Y:前に上海でライヴをした時に、セットリストには入っていなかったんですけど、女の子たちがみんな『涙の物語』って言うんですよ。「あぁ〜しまった!今日やんないんだよなぁ」って思って。で、そこで「中国の人ってこういう曲好きなんだ」と思って、嬉しかったんですよね。だから、今回のベストアルバムは、ゆくゆくは中国の方にも聴いて頂けると思うので、「どうしても入れたいな」と。私自身が作詞をしたというのもあるんですけどね。

−ファーストアルバムからは、『Sunset』、『友情』、『Pray You'll come back−share the ALOHA−』などが今作に収録されていますが。

Y:『Pray You'll come back−share the ALOHA−』は正にテロがあった時に、丁度ハワイでレコーディングしたもので、”share the ALOHA”っていう副タイトルをつけたのも、「大きな心を皆で分け合おう」っていう気持ちを込めて作ったからなんですけど、やっぱりこの曲も、私の歌手活動の中のすごく大きな1ページだから「入れたいな」と思いましたね。
−歌手活動の中の大きな1ページと言えば、サザンオールスターズの松田さんのソロアルバムへ参加されましたよね?あれはどういった経緯で参加させてもらう事に?

Y:私の2枚目のアルバムで高野寛さんと出会ったんですね。高野さんに何曲かアレンジをして頂いて。で、高野さんが、私がサザンオールスターズを好きっていうのを知っていたのか分からないんですけど、紹介してくれて。でも、松田さんの息子さんと私って同級生だったんですよ(笑)。

−そうだったんですか(笑)?

Y:はい(笑)。レコーディングの時もずっといて、私はもう中学の時からずっと同じ学校で。

−じゃあ、かなりの顔見知りなわけですね?

Y:はい。だから、それもなんだろう、運命じゃないけど、「ひとつの大きな巡り合わせだったなぁ」と。

−実際に参加してみてどうでした?

Y:まず松田さんとデュエットというのが本当に思ってもみなかったことで、やっぱりサザンオールスターズっていうブランドがついてますから恐縮しますよね。私は本当にサザンオールスターズに影響を受けてるし、カヴァーもしているわけで。なので、レコーディングも最初はすごく緊張したんですけど、松田さんがすごく良い方で、緊張も解いて下さって、私が自分で作ってた分厚い壁を破って下さったたんですよ。

−ポイント、ポイントに大きい出来事がありますね、有里さんは。

Y:そうですね、本当に運が良いと言うか、そうとしか言いようがないですね。

−あと、大きい出来事で言えば、アセアン諸国の文化交流の一環とした企画で、『あなたに会いにいこう』を各国で歌われましたよね。あれはどういった経緯で歌うことになったんですか?

M:私のプロデューサーがあの企画自体の総合プロデューサーだったんですよ。で、各国に行って歌うという企画があって。もう、本当にラッキーでした。なんかね、こうやって振り返ってみると、色々ポイント、ポイントで起こった出来事っていうのが、本当に運が良いんですけど、それによって私がひとつ脱皮できているというか、それを今振り返ると感じることが出来ますね。確実に今のサウンドの基盤に全部がなってるっていうか。

−実際に海外の色々な国へ行って歌ってみるのはどうでした?

Y:貴重な経験でしたね。自分がアジア人っていう認識も多分「薄かったんじゃないのかな?」って思うんですけど、実際、初めての国へ行くと、人も言葉も文化も習慣も違うんですよね。そういうったものに気付く度に、「同じアジアの中で、これだけ違うものがあって、これだけ同じものがあるのか」って思うことがすごく多くて。勉強になったし、「音楽を通して国境とか言葉の壁を越える」という事をまたまた実感しましたね。音楽は唯一国境を越えることが出来る道具だなと思ったし、その道具を持っている自分は「すごく幸せだな」と感じますね。

−誰でも出来ることじゃないですからね。

Y:そうですね。あと、その国によって、音楽というものの捉え方がまったく違うのが面白かったですね。わりと実力重視の国もあれば、アイドル王国があったりとか。色々な文化がそこにあるから、私も色々な表情を見せなきゃいけないわけですよ。アーティスト・有里知花、はたまたアイドル・有里知花になっちゃった時もあるから(笑)。「ガラじゃないけど」なんて思いながら結構楽しんでいたんですけど(笑)。だから、貴重だったというか、色んな国の色んな音楽の捉え方を見ることができて良かったですね、友達もできたし。

−その頃、歌っていた『あなたに会いにいこう』には、どういう想いを込めて歌っていたんですか?

Y:11カ国分の歌詞があるんですけど、私は日本代表だったので、日本語の良さとか、日本語の響きの柔らかさとか、そういうのを伝えたいと思って歌っていましたね。



−そういった活動があって、アルバム『Treasure The World』がリリース。この作品は世界を歩いたその時期の集大成だったんじゃないですか?

Y:そうですね、タイトルもそのまんまで。で、『Oceans of Love』と比べると、さらに自分の意見を言ったアルバムだし、制作もわりとじっくり出来たような気がするし。あと、学生最後のアルバムだったので、「これで一区切りかな」っていう感じは自分の中ではありましたね。

−すごい学生ですよね。

Y:すごい学生ですよね(笑)。

−マレーシア行って、タイ行って、歌ってみたいな(笑)。

Y:本当に、はい(笑)。

−ちなみに、その『Treasure The World』の中からは『砂浜レター』『風にたくして』などを今作に収録していますね。

Y:『砂浜レター』に関してはケネスに曲を書いて頂いて、日本語詞をスムルースの徳田健二さんに書いて頂いて、「面白いものが出来たんじゃないのかなぁ」っていうのがあるし、アレンジも私がこだわって「サックス入れたい」とか、「レゲエにしたいんだ」とか言って作った曲なので今作にも収録しようと思いました。あと、『風にたくして』は、「ライヴの時にもすごく心を入れながら歌えるような曲を作りたい」と思って。アレンジは高野さんにお願いして、「すごく良い出来になったな」と思って。自分でもすごくお気に入りの曲だし、ライヴで歌っていてもすぐ反応が返ってくる曲だし、「好き」って言ってくださる人も多いので、今回のベストにも収録しました。

−さて、そんなアルバム3枚分の有里知花の歴史が凝縮されたベストアルバム『Good Luck To You』ですが、こうしてベストを出せた今の率直な心境を聞かせて下さい。

Y:「もうベスト?」っていうのは正直ありますけど、今までいろんなことがあって、いろんな曲が出来て、それはいろんな人と出会ったり、いろんな場所に行ったりしたのが大きかったんですけど、それを一回濃縮還元したかったんですよね。ちょっとここまでを一区切りとしてこれから社会人になって、音楽を制作するにあたって、一回ギュッと絞ってみたかった。ベストっていうより「美味しいトコどり」ですね。新曲も入ってますし。

−その新曲についても触れたいんですが、今作のタイトルトラック『Good Luck To You』は、“LOST IN TIME”の海北さんとのデュエットなんですよね!僕的には意外だったんですけど。

Y:そうですよね。“黒沢秀樹”さんに曲を書いて頂いて、私が作詞をして、一度は作り終えていた曲なんですけど、私のプロデューサーがわりと爆弾を投下する人で(笑)、「これに男性ボーカル入れてみようか」って。しかもその「男性ボーカル用にもうひとつのメロディーを作って歌う曲にする」って言うんですね。そこから煮詰まる生活が始まり(笑)、黒沢さんもゲッソリしてたんですけど、「女の人の曲と男の人の曲、二つが合わさって、初めて一曲になるような曲って面白い」って思うようになって、曲は良く出来たので、男性ボーカル探しを始めたんですね。で、とある人に“海北大輔”くんを紹介してもらって、実際ライヴを観に行ったりCD聴いてみたりしたら、すごく良い声だし、日本語の良さをダイレクトに伝えることが出来る人なんですね。「若いのにすごいな」と思って。でも、私と全然フィールドが違うんですよ。私はわりとしっとりした曲しか歌わないけど、逆に海北君はもう「ガァー!」って、私もライヴでビックリしちゃったんですけど。でも、そういう二人がやってみたら、化学反応じゃないですけど、「面白いものが出来るんじゃないのかな」と思って。実際に挑戦してみたら、思った通りすごく良いものが出来て、「海北君でよかったな」と思いましたね。
−ちなみにこの曲はどのような想いを込めて歌ってるんですか?

Y:あのですね、本当のことを言いますと、私が最初に作詞をしていた時は、私の大学時代の友達がカナダに留学しちゃうんで、彼女に対する「Good Luck To You」だったんですよ、応援歌というか。「あなたが帰ってくるところはあるんだから、頑張っていってらっしゃい」っていう曲だったんですけど、その男性の歌詞とメロディーが付いたことによってですね、男女の別れの曲になったんですね。しかも女性はすごく前向き、男性はちょっと未練がある、でもお互いの為を思って別れたというか、希望のある別れ方というか、だから最後は「ありがとう」って言葉でしめるんですけど。そういう風に変わっていったのが「すごく面白かったなぁ」と。最初はそういう応援歌だったのに、いつの間にやらラブソング、しかもドロドロみたいな(笑)。で、二人で別々な想いを歌っているのに、最後に気持ちは一緒で、「ありがとう」。すごく綺麗にまとまりましたね。


−あと、もうひとつの新曲『手のひら』ですが、この曲にはどんな想いを?

Y:この曲は、実は2003年の『Treasure the World』を制作していた時にはもう出来ていたんですよ。山口寛雄さんに作曲してもらって、この人は私が「兄貴」と慕っている人なんですけど、その兄貴に作曲して頂いて、私が詞を書いたんですね。で、出来たんですけど、ものすごくインパクトの強い曲だったんですよ。「いざ、アルバムに入れよう」って、他の曲と並べてみた時にインパクトが強すぎて、アルバムのカラーと若干違ったんですね。それで、温めておいた曲なんですけど、今回、このベストにこうやって入れることが出来たのはすごく嬉しいですね。兄貴も喜んでましたしね。やっと、発売みたいな(笑)。

−(笑)。さて、こうしてベストアルバムが出ると、気になるのが“有里知花”の今後の活動なんですが。

Y:ライヴを積極的にやりたいです。去年1年リリースが全くなかったので、制作活動とかもやりたいんですが、学生の頃はわりと、夏休み、春休み、冬休みっていう長い休みだとか、土日を使って、短い時間に一気に作っていたので、これからはじっくりとサウンド作りはやっていきたいと思ってるんですよね。やりたいサウンドっていうのはね、頭の中にいっぱいあるんですよ。そういうのを一個一個実現できたら「いいかなぁ」と思って。でもアコースティックとかスロウな曲調は変わらないと思います。いきなり、トランスになったりはしません(笑)。あとは、やっぱりもっと色んな国に行って歌いたいです。「こんなところでライヴやるの!?」みたいなところでもやってみたい。

−これだけ海外でもCDをリリースしたりとか、ライヴをやったりすると、「海外でも聴かれる」っていうのを意識して曲を作ったりしますか?

Y:しないですね。今までも自然発生的と言うか、全然そういうつもりはなかったのに、いきなり南アフリカに飛んだり、そういう感じだったので。それを意識してると、逆に良いモノも出来ないと思うんで。「自分らしくならない」って思うんですね。その国の流行に合わせてみたりするのは、ちょっとつまんないし。今までも“有里知花の音楽”を受け入れてもらったわけだから、これからも、それを続けられるのが一番ですね。歌手としてはそう思います。

−安心しました。そのままでいて下さい!

Y:ありがとうございます。

−それでは、最後になりますが、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

Y:今回『hotexpress』を見て、初めて“有里知花”を知った方も沢山いらっしゃると思うんですよ。なので、ちょっとでも興味を持って下さった方、「もっと有里知花について知りたいな」と思ったら、是非、今回のベスト盤を聴いて頂きたいです。今までの私の色んなページを見ることが出来るし、色んな面も見ることが出来るし、新曲も入っているというところでは、「今後どんなアーティストになっていくのかな?」っていうのも見えてくると思うし。だからぜひこのベスト盤を聴いて、ブックレットもぜひ見てほしい。なぜかと言うと、私の撮った写真だったり、私の書いた文章だったりっていうのも見てほしいので。『Good Luck To You』、見て聴いて楽しんでもらいたいです。

Interviewer:平賀哲雄